高度経済成長期とは?昭和時代に日本が経済大国になった理由を解説

今回は日本の高度経済成長期について、詳しく解説します。

日本が戦後の厳しい生活から、高度経済成長期を経て経済大国になったという大まかな流れは、何となく知っているという人も多いのではないでしょうか。

日本の高度経済成長期はなぜもたらされたのか、具体的にどのようなものだったのか、詳しくみていきましょう。

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目次

日本の高度経済成長期とは

朝鮮戦争特需によって経済が強固なものとなった後の1955年から、1973年に第1次オイルショックが発生するまでの約19年間にわたり、日本は「高度経済成長期」を経験しました。

高度経済成長期とは、実質経済成長率が10%程度の成長率を続け、飛躍的かつ継続的に経済規模が拡大した期間です。

この期間にはさまざまな好景気が起こり、代表的なものとして以下の好景気が挙げられます。

好景気が起こることにより、高度経済成長期へと繋がる流れを理解しておきましょう。

神武景気(じんむけいき:1950年~1953年)

朝鮮特需による好景気。「日本初代の天皇とされる神武天皇が即位して以来、例を見ないほどの好景気」とされ名づけられた。

岩戸景気(いわとけいき:1958年~1961年)

「3種の神器」に代表される、急速な技術革新と設備投資の活発化による好景気。

神武天皇よりさらにさかのぼり「天照大神が天の岩戸に隠れて以来の好景気」として名づけられた。

昭和のシンボルである、東京タワーが完成したのも1958年。

オリンピック景気(1963年~1964年)

1964年のオリンピック東京大会開催を受けた好景気

いざなぎ景気(1965年~1970年)

重工業の発展により後押しされ、神武景気、岩戸景気を上回る好景気として「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」が天津神(あまつかみ)の命により日本列島を創ったという神話になぞらえて名づけられた。

のちに2002年から69か月(2007年まで)続いた景気回復「いざなみ景気」が起きるまで、いざなぎ景気は57か月も続いた戦後最長の好景気となりました。

名前が似ているため間違えやすいが、伊邪那美命(いざなみのみこと)は日本神話の女神で、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の妻である。

代表的な好景気の説明

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高度経済成長期はなぜもたらされたのか

デフレ不況が長く続く現在の日本からは想像もできないほど、好景気に沸いた高度経済成長期は、なぜもたらされたのでしょうか。

高度経済成長期のシンボルともいえるのが、1964年に開催された東京オリンピックです。

アジア初のオリンピックとなる東京オリンピック開催に向けて、高速道路や新幹線などのインフラ整備が急速に進められ、観戦のため一般家庭にはテレビが普及しました。

急速なインフラ整備や技術革新により、日本の産業は活気に満ち溢れていきます。

また背景として、日本の生産年齢人口(15歳~64歳)が増加して労働力が豊富だったことに加え、鉄鋼や石炭などの産業から、より高付加価値な機械や家電などの工業にシフトしていったことも挙げられます。

テレビに洗濯機と冷蔵庫を加えた3種類の家電は「3種の神器」と呼ばれ、急速に家庭に普及し、家事の効率化を実現して女性の社会進出にも貢献しました。

さらに1970年には大阪万博が開催され、「人類の進歩と調和」をテーマに、日本の復興を世界にアピールしたのです。

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高度経済成長期の終わり

日本の高度経済成長期は、1973年に終わりを迎えます。

1970年代には、日本だけでなく世界経済も急速に成長しており、エネルギー需要が増加していました。

さらに世界的に石油依存型の経済に移行していったことで、石油の需要は急拡大し、石油価格は上昇していきました。

そのような中、1973年に第4次中東戦争が勃発し、OPEC(石油輸出国機構)は原油価格を70%も引き上げると決定しました。

これにより物価は高騰して「狂乱物価」とも呼ばれるインフレが加速し、日本国民は「高くなる前にモノを買わなくては」と買いだめに走り、トイレットペーパーなど生活必需品の品切れが相次いだのです。

日本政府はインフレを抑え込もうと金利を引き下げましたが、これは景気の下振れにもつながり、1974年の経済成長率はついにマイナスに転じてしまいました。

また、高度経済成長期の弊害として「4大公害病」も深刻な社会問題となりました。

熊本県水俣市で発生したメチル水銀中毒「水俣病」のほか、富山県神通川流域で発生したカドミウムを原因とする「イタイイタイ病」、三重県四日市市の石油コンビナート排煙による「四日市市ぜんそく」、新潟県阿賀野川流域で発生した「第二水俣病」は、甚大な健康被害をもたらしたのです。

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まとめ

日本の高度経済成長期について解説しました。

1955年から1973年まで、19年間にわたり続いた高度経済成長期は、豊富な労働力などに支えられて技術革新やインフラ整備が急速に進み、東京オリンピックや大阪万博が実現しました。

日本は経済的に大きく飛躍したものの、1973年のオイルショックで高度経済成長は終わりを迎え、4大公害病という弊害ももたらしました。

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この記事の監修者

監修者プロフィール

トレード歴40年の株職人。“株匠” を目指している。
20歳で株の売買を始めてから20年間、
「日本郵船」1銘柄のみの「売り」「買い」に集中、大きな利益を重ねる。
その後、宮本武蔵が洞窟に籠もるかの如く、チャートと建玉の研究に没頭する。

現在も、チャートと建玉の操作のトレード手法をさらに極めるべく精進を重ねており、
日本株、米国株、イタリア指数、イギリス指数、ユーロ指数、金、原油、コーン、FXなど、
どの市場でも大きな利益を生み出している。

ラジオNIKKEI「相場師朗の株は技術だ!」でキャスターを務める。
東京証券取引所北浜投資塾講師、日本経済新聞社お金の学校講師。

この記事を書いた人

著者プロフィール
根本 卓(株塾・インテク運営責任者)
1年間勉強・練習後に2013年から株式投資を運用資金30万円から開始。

地道に続け、7年後に月500万円の利益を出せるように。

その経験を活かし、株塾サービスに反映・インテク記事を書いています。

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