今回の記事では、ノーベル経済学賞とポール・A・サミュエルソンを取り上げます。
ノーベル経済学賞とは
ノーベル経済学賞は毎年1回、経済分野において功績のあった人に送られる賞です。
正式には「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞」という名称で、1968年にスウェーデン銀行が創立300周年を記念しノーベル財団に寄託した基金で創設されました。
1901年から授与が始まった、ノーベル賞のほかの5部門(化学賞、物理学賞、文学賞、平和賞、医学生理学賞)がノーベルの遺言にもとづいて創設されたのとは経緯が異なるとして、厳密には経済学賞はノーベル賞ではないともされます。
しかしほかのノーベル賞と同様、ノーベル経済学賞の選考はスウェーデン王立科学アカデミー(※)によって行われ、授賞式も同等に行われています。
1回に受賞できるのは3人までで、1969年に第1回の受賞者が選定されて以降、欧米出身者をはじめとする多くの受賞者が生まれました。
ただし2021年9月時点で、経済学賞はまだ日本人が誰も受賞していない唯一のノーベル賞となっています。
今回の特集記事では、これまでのノーベル経済学賞者の中でも特に広く知られ、経済にそれほど詳しくない人でも知っておきたい経済学者を5人取り上げます。
世界的に高く評価される著名な経済学者は、どのような経歴を持つ人物なのか、そしてどのような主張をしたのか、ぜひ理解しておきましょう。
初回となる今回は、アメリカの経済学者、ポール・A・サミュエルソンを取り上げます。
サミュエルソンは、新古典派経済学理論への多大なる貢献により、1970年に第2回ノーベル経済学賞を受賞しました。
(※)スウェーデン王立科学アカデミー・・・1739年に設立され科学振興のために活動する、スウェーデンの非政府組織。実学を重視し、ノーベル物理学賞・化学賞・経済学賞の授与機関である。
シカゴ大学からハーバード大学へ
サミュエルソンは1915年、アメリカ・インディアナ州の工業都市ゲーリーのユダヤ人家庭に生まれました。
ゲーリーは、マイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソンなどジャクソンファミリーの出身地としても知られています。
サミュエルソンは、大恐慌の最中であった1932年に、わずか16歳でシカゴ大学に入学しました。
当時のシカゴ大学は、自由主義経済学のシカゴ学派の中心であり、自由主義経済学について学びを深めました。
その後奨学金を得て1936年(21歳)にハーバード大学院に進学し、1941年(26歳)に博士号を取得しました。
ハーバード大学では、シカゴ大学で学んだ自由主義経済学とは相反する、ケインズ経済学も学ぶことになりました。
その間の1940年には、MIT(マサチューセッツ工科大学)で教鞭を執り、1944年(29歳)に准教授、1947年(32歳)には教授になりました。
第2次世界大戦中から、政府関係機関の顧問として経済政策にかかわり、ジョン・F・ケネディ大統領の特別経済顧問も務めました。
同年1947年(32歳)に出版した「経済分析の基礎」で有名となり、同年にアメリカ経済学会が隔年で授与する経済学賞「ジョン・ベイツ・クラーク賞」を受賞しています。
1970年(55歳)にノーベル経済学賞を受賞したサミュエルソンは、2009年に94歳でこの世を去りました。
経済学の教科書を生んだサミュエルソン
サミュエルソンは、近代経済学を数学的分析手法で解明し、新古典派経済学とケインズ経済学を総合する新古典派総合の創始者として知られます。
また経済学の教科書を生んだことでも知られており、1948年(33歳)に出版した教科書「経済学」は、現在に至るまで版を重ね続けています。
同書はおよそ50年間で41か国語に翻訳され、全体で400万部を超える売上を記録し、教科書出版業界にも衝撃を与えました。
教科書の内容は、全体をミクロ経済学とマクロ経済学の2つに分類し、入門として必要な基本的な内容をひと通り網羅しています。
まとめ
サミュエルソンは経済学の教科書を生み出し、全世界的な経済学の標準化に大きく貢献しました。
経済学者の佐和隆光氏によると、ノーベル経済学賞はサミュエルソンに与えるために設立されたという説もあるほどです。
教科書「経済学」は日本でも広く用いられており、日本人にとっても身近な経済学者といえるでしょう。
有名大学の教授や、大統領の顧問などを務めた華々しい経歴に加え、生涯を通じて数百本の論文を執筆するなど精力的で、6人の子供ももうけました。