戦後のハイパーインフレとは?終戦直後の日本経済を解説【日本の経済史を知ろう】

今回は、「日本の経済史」について解説します。

日本に住んでいても、日本経済の現状について正しく理解している人は、多くないかもしれません。

たとえば借金大国といわれる日本は、今どのくらいの借金を抱えているか、答えられるでしょうか?

2021年5月の財務省の発表によれば、日本の借金は2021年3月末に1,216兆4,634億円となり、過去最高を更新しました。

日本の借金は増え続けており、近年では年間の増加幅は10兆~20兆円程度で推移していたものの、コロナ禍の影響で2021年は前年から101兆9,234億円も増加してしまったのです。

戦後に高度経済成長を遂げ、世界から経済大国とみなされるようになった日本は、なぜこんなに借金まみれなのでしょうか。

日本の経済の現状を正しく理解し、その未来を考えていくためには、歴史を知ることが欠かせません。

今回の特集記事では、戦後の日本経済をひもといていきます。

経済っていったいなに?【経済のキホン】

目次

終戦直後の日本経済

日本に甚大な被害をもたらした太平洋戦争は、1945年8月15日に終戦を迎えました。

国民が保有する資産から負債を差し引いた正味資産である「国富(こくふ)」は、戦争によって653億円(現在価値で約800兆円)も失われたとされています。

これは戦争が無ければ残っていたと考えられる国富の4分の1にあたる規模であり、戦争が経済的にいかに大きな影響をもたらしたかが分かります。

そして戦後の日本を襲ったのが、すさまじいインフレ「ハイパーインフレ」です。

ハイパーインフレとは、物価が上昇する「インフレ」が急激に進むことで(通常の年間インフレ率は1~3%程度)、ハイパーインフレでは数十~数千%にも上昇する場合がありました。

日本の物価は、1934~36年の平均と比較して、1946年8月に21倍に、1948年6月にはなんと172倍にもなりました。

戦後のハイパーインフレはなぜ起こったのか

日本で戦後にハイパーインフレが起こった理由として、まず「生産力の低下」が挙げられます。

戦争で多くの工場や機械、船などが焼失し、終戦によって軍需産業もなくなりました。

日本の生産力は急速に落ち込み、戦争で物資が不足していたところに、さらに安定的な物資の供給が困難となってしまったのです。

また1945年は、天候不良などで稀に見る凶作の年となり、コメや小麦などが不足し深刻な食糧不足に陥りました。

こうして物資や食糧の不足により、国内の需要が供給を大きく上回り、急激に物価が上昇していったのです。

そしてさらにハイパーインフレの引き金となったのが、戦後の財政悪化です。

戦争に巨額のお金がつぎ込まれたことは、誰でも容易に想像できるのではないでしょうか。

日中戦争を含む太平洋戦争で費やされた戦費は、日中戦争開戦当時のGDP(国内総生産)約228億円の9倍近くにものぼる、1,935億円(当時の金額)とされています。

とうてい税金でまかなえる金額ではなく、戦費は国債で調達されました。

さらに戦後にもGHQ(連合国軍総司令部)主導で様々な復興が行われ、その資金も多額の国債により調達されたのです。

日本政府が発行する大量の国債は、国の中央銀行である日本銀行が直接引き受ける形で購入します。

その購入代金は、日銀がお金を供給して作り出します。

日銀が大量にお金を供給することで、通貨としての日本円の価値は急速に下落し、モノの値段は相対的に上がっていきました。

円安が進んで、海外からモノを輸入するときに輸入額が膨らんで輸入インフレが起こり、さらに通貨の価値が下がってインフレが進んでいったのです。

インフレを収束させたドッジ・ライン

日本のハイパーインフレを抑え込むため、GHQは「ドッジ・ライン」と呼ばれる一連の経済安定政策を打ち出しました。

アメリカのデトロイト銀行頭取だったジョセフ・ドッジは、1949年に来日してGHQの経済顧問に就任すると、日本経済は「アメリカからの援助」と「日本政府の補助金」という2つの竹馬に乗っているようなものだと指摘しました。

それまで日本では、日本企業が有利になるよう、輸出の時は円安、輸入の時は円高のレートになるよう、商品ごとに為替レートが決められていました。

ドッジはこの為替レートを「1ドル=360円」に固定したほか、国の借金を減らすために、「歳入(収入)」を増やして「歳出(支出)」を減らす「緊縮財政」を行いました。

ドッジによる厳しい財政政策は、インフレの抑え込みに成功しましたが、同時にダメージを受けた日本企業も多く国内景気が冷え込み、日本はデフレ不況に陥ってしまったのです。

しかしその直後1950年に朝鮮戦争が勃発し、アメリカは日本を連合軍の補給基地として利用し、日本から衣料品や食料、鉄鋼などを大量に調達しました。

朝鮮戦争特需によって、日本は急激に需要が拡大して大量のドルを稼ぐことができるようになり、景気は一気に潤い、その後の高度経済成長へと突き進むことになります。

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まとめ

戦後、日本は深刻なハイパーインフレに苦しみ、GHQの金融政策「ドッジ・ライン」によってインフレを脱したものの、デフレ不況に陥りました。

その後日本経済は、1950年の朝鮮戦争特需によって奇跡的に復活します。

現在の日本は、長くデフレ不況に苦しんでいますが、戦後にはハイパーインフレとその後のデフレ不況に直面していたのです。

なぜ日本は借金大国なの?【財政と政治】

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この記事の監修者

監修者プロフィール

トレード歴40年の株職人。“株匠” を目指している。
20歳で株の売買を始めてから20年間、
「日本郵船」1銘柄のみの「売り」「買い」に集中、大きな利益を重ねる。
その後、宮本武蔵が洞窟に籠もるかの如く、チャートと建玉の研究に没頭する。

現在も、チャートと建玉の操作のトレード手法をさらに極めるべく精進を重ねており、
日本株、米国株、イタリア指数、イギリス指数、ユーロ指数、金、原油、コーン、FXなど、
どの市場でも大きな利益を生み出している。

ラジオNIKKEI「相場師朗の株は技術だ!」でキャスターを務める。
東京証券取引所北浜投資塾講師、日本経済新聞社お金の学校講師。

この記事を書いた人

著者プロフィール
根本 卓(株塾・インテク運営責任者)
1年間勉強・練習後に2013年から株式投資を運用資金30万円から開始。

地道に続け、7年後に月500万円の利益を出せるように。

その経験を活かし、株塾サービスに反映・インテク記事を書いています。

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